20世紀末の台湾。薄暗い店内に鳴り響く歌謡曲。漂う独特な匂い。

1. 2000年

桃園南華大飯店 – Taoyuan Plaza Hotel

南華大飯店は、2017年現在廃業し、「桃花園飯店」になっています。(桃花園飯店:2013年に開業)

台鉄桃園火車站(高鐵桃園駅ではない2000年にはまだない)から、徒歩5分。駅前ロータリーのタクシーが通してくれなければ、
10分ほどの場所に、南華大飯店がありました。台湾新幹線の噂が出始めたころの話です。

街は独特の臭いであふれていました。
呼び止めたタクシーはボロボロで、雨漏りし、アジア全開でした。

タクシーの運転手は、檳榔(ビンロウ)を噛んでは道に吐き出して、道は吐き捨てられた檳榔(ビンロウ)で汚れていました。日本人を乗せると、頼んでもいないのに、台湾語の「一休さん」を大音量で流してくれました。。。
(2011年に訪台したときには、見違えるほどきれいになっていました)

ホテル横のタピオカミルクティ(珍珠奶茶)を販売していたドリンクスタンドのアルバイト店員が、
真みどりのジャケット、下は黒のスパッツ姿で売っていたことが印象的でした。

当時、このミルクティがマイブームとなり、毎日のように飲んでいましたが、
さすがに、何杯も飲むものではないらしく、時々、おなかが緩くなっていました。

この通りの反対側には、養老乃瀧がありました。
日式と言われる日本食ぽいレストランがあちらこちらにあり、
困ることはありませんでした。

今でこそ、日本の回転ずしチェーン店が出店していますが、
寿司は水に当たるのを恐れて、手を出すことはありませんでした。

南華大飯店

当時、聞いた話では、アパートの屋上は、最上階の契約者に使用する権利があると聞きました。
夕方涼しくなると、下着姿のおじさんが、屋上で夕涼みしておられました。
ホテルの目の前なんで、丸見えなんですけど。www

桃園駅

事情があって、当時、夜市というものには行ったことがありません。
夜に町を歩くと、建物軒先で屋台で食事を出している店がありました。
こういった店は、値段も安かったのですが、衛生面の保証は一切ありません。

どこをどう歩いてたどり着いたのか分かりませんが、ステーキを90円で食べたことがあります。
(当時のレート計算をした覚えがあります。)

帰ってから、周りの人たちにその話をしたところ、「絶対、牛肉じゃない」と言われた覚えがあります。なんの肉だったんだろう。。。

夜になると、ナイトクラブのようなレストランでは、歌謡曲チックな歌を専属の歌手が歌っていました。
今はあるんでしょうか。場所も覚えていませんが。

 

 

 

 

2. 2013年

十数年も経過すると、本当に日本語だらけになっていました。

桃花園飯店

桃園南華大飯店は廃業し、別のホテルへと変わっていました。
2000年に滞在していた時は、バスを使用したことはありませんでしたが、
台北まで座って移動できるので、楽ですね。台鉄では、座れた記憶はありません。

桃園駅
桃園

 

 

 

 

3. 2016年

昔、通い詰めた食堂。今でもありました。

衛生状態は、相変わらず。。。

桃園車站は、少し移設されてプラットフォームも新しくなりました。
駅舎自体も移設するのだろうか。

桃園駅

バスも鉄道も、悠遊カード(EASYCARD)が使えます。
カードの購入は、コンビニでおこないましたが、チャージできる場所が分かりませんでした。
結局、移動先の中壢駅(ちゅうれきえき)まで移動して、駅員に聞いたところ、
チャージは、窓口でやってくれました。
台北であれば、自動機でチャージできるのですが、台北から離れると、まだまだ不便です。

 

 

 

 

4. 場所

桃園南華大飯店周辺